2014年7月2日水曜日
4
「プロレスだよ」
男はもとの調子で答えると、今度は幕の方に視線を向ける。
「え、何ですか?それ?」
男はサキの方を一瞬睨むように見て、またか、というような顔をした。
「・・・格闘技だ。世界最強の」
男はため息混じりに答える。
サキは今一つピンと来ていない。
「カクトウギって……柔道とか、お相撲とか」
「……まあ合ってるけどね。
あんたぐらいの年なら、プロレスのポスターぐらい見たことあるだろ?」
「私、中1です」
男はまた目を丸くし、サキの全身を見回す。
「……ポスト良化法世代かよ」
ポスト良化法世代。
成化xx年のいわゆるメディア良化法施行後に生まれ、表現規制が当たり前になってから生まれた世代を、社会ではそう呼んでいた。
男がサキをずいぶん大人に見ていたらしいことは、会話の端々から感じ取れた。
同世代に比べ背が高く、年上に見えることを気にかけていたサキにとっては、それはいつものことではあるのだが。
「えーい!」
男は黒いボサボサ頭をかいて、やおら立ち上がる。
「じゃあお前、ちょっとここに座れ」
男が自分を呼ぶ口調が「あんた」から「お前」に変わったことを、サキはまだ気づいていない。
そういうと、自分の座っていた椅子を指差す。
「いいか、まずお前は中学生だから、入場料は半額!」
サキが椅子に座ったのを待つと、男は後ろからサキの頭を両手で挟む。
「それから、ここは場外だから、500円引き!」
中がやっと見渡せるだけ開いた幕の隙間に視線を合わせさせた。
「見てみろ、これがプロレスだ!」
眩しい白熱電球の灯りに照らされた下に、正方形の舞台のようなものがあり、その四隅に柱が立っている。
柱同士は3本のロープで繋がれており、その中で全身黒づくめの男が、見るからに頑丈そうな大男に向けて、空中で逆さまになって体を浴びせていく。
黒づくめの男の胸が相手の頭から胸にぶち当たった瞬間、男たちは折り重なって舞台に倒れ込む。
ばん!という大きな音が鳴り、多いとは言えない観客のおおっ、という歓声が沸き起こる。
「あれがブファドーラ。ヤシチさんの得意技のひとつだ」
男が椅子に座ったサキの頭の上から話しかける。
その後も舞台の上では目まぐるしい攻防が続き、大男が自分の手のひらをヤシチと呼ばれた男の胸に叩きつける破裂音や、さっきのように人間が舞台に落下する衝突音など、様々な音に彩られていく。
「怖いか?」
また頭上から声が響く。
「いえ。大丈夫です」
サキは舞台から目を離さずに答える。
「ふーん。珍しいな。もっと怖がると思ったけど。
まあいいや。さっきお前が言ってた相撲とか柔道ってのは、日本の伝統競技で、だから今でも保護されてる」
男は、問わず語りに話し始める。
「他にも、オリンピック競技になってるボクシングとか、アマレスなんてのもあってな」
「アマレス?」
サキは聞いたことがない単語に首をかしげる。
「ああ、今は単にレスリングって言うのか。
俺たちはアマチュアレスリング、略してアマレスって呼ぶんだけどな」
男は言葉を続けた。
「で、あれがプロレス。プロフェッショナル・レスリングだ」
そう言って男は、サキの頭越しに舞台……リングを指差した。
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