2014年7月2日水曜日

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「お前がプロレスを知らないのは、メディア良化法で規制されてるからだ。

 相撲や柔道みたいに伝統もなく、ボクシングやアマレスみたいに競技として整備されたルールもない。

 だから危険で、乱暴な見せ物なんだってよ」

男の口調には、若干の苛立ちが含まれていた。

「でもな。見てみろよ。お客さんたちを」

男はリングを指していた指を、すっと客席に向ける。

そこには、笑顔で立ち上がり、選手に歓声を送る、老婆の姿があった。

「あの婆ちゃんたちは、たぶん社長の……ああ、今戦ってる、ごつい方の人な。

 その社長の師匠、マジェスティ矢羽の時代からプロレスを見てるんだ。

 見ろ、あの婆ちゃん、普段はたぶん杖ついて歩いてんのに、今は飛び上がって拍手してる」

たしかに、老婆の足元には杖が転がっている。

「ただの残酷ショーで、人があんなに元気になるわけがないんだ。

 ……まあ、社長の受け売りだけどな」

男がそう語るさらに後ろの草むらでがさり、と音がする。

「……小林」

「広目(こうもく)さんですか」

サキが声のした方を振り向くと、草むらに長髪で大柄の男がしゃがんでいた。

まわりが暗いせいもあるのだろうが、その男の陰影の強い顔立ちと、迷彩服越しでもわかるごつごつした体型は、長髪と相まって、サキに社会科で習った「原人」という言葉を思い出させる。

広目と呼ばれた大柄の男は、彼が小林と呼んだ、サキにプロレスの説明をしていた男に話を続ける。

「ここはもうダメだ。社長たちに合図を」

小林はため息をついて、テーブルの下からいたのついた金属のベルと、木槌を取り出す。

「奴ら、やっぱり嗅ぎ付けてきましたか」

小林の言葉に、広目は答える。

「ああ。斥候を3人ばかり眠らせてきたが、そろそろ後詰めに救助されてる頃だろう」

そう言って広目はゆらりと立ち上がり、周囲の暗がりに目を走らせる。




カーン!!

小林が唐突に打ち鳴らしたベルの音が辺りになり響く。

それに気がついたらしい「社長」と呼ばれた男が、両手を握りしめて客席にアピールする。

そのままリングに伏せていたヤシチの後頭部を左手でつかんで引き起こすと、周囲に見栄を切ってから、右腕をヤシチの喉元めがけて振り抜くと共に、体を浴びせる。

リング上にもう一人立っていた、ポロシャツ姿の男が這いつくばり、マットを3回叩く。

今度はリングサイドの折り畳み机の上でベルが連打され、会場がわっと湧く。




「・・・間に合わなかったか」

広目がそう呟き、姿勢を低くしてリングの方向に走り出す。

小林もちっと舌打ちし、さっきのベルと木槌を抱えて後に続く。

リングの周囲の男たち(大柄で派手なメイクの女性の姿も見える)が、観客に何かを語りかけるのがサキの目に入った瞬間、会場の周囲の仕切り布が乱暴に取り払われ、影のようなものがいくつも飛び出してくる。

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